憎しみと絶望と命の危機を超える「愛」に出会った人々の証言 〜世界で今も生きて働かれているイエス=キリストの真の力と、人間の幸せ〜 -  羽生結弦選手  絶賛応援ブログ  花になろうよ!

※ 羽生選手の命と心をお守りくださった主イエス様に、心から感謝します!

羽生選手の国民栄誉賞が決定したので、再UP

6月30日:祝・長崎と熊本・天草の「潜伏キリシタン」関連遺跡が世界文化遺産に決定!ハレルヤ!! 産経記事 時事通信記事 時事通信記事その2 朝日記事

4月7日:羽生選手が多くの人を幸せにした人に贈られる「Happy News Person」賞を受賞したのを祝して記念して再UP! 最後に世界的に有名な「平和のための祈り」の文言を加えました。

4月1日: 証言動画4の、スピリチュアル&ニューエイジの有名人だったドリーン・バーチューさんの、イエスに出会って劇的に認識を変えられた体験とその経緯を、より詳細に説明された動画(日本語訳付き・2018年に収録・配信されたもの)を追加しました。 

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※ タイトルの「超える」は、「乗り越える」などという普通の次元の話ではなく、遥かに超越した次元から働く、真の神様の強力な力によって根本から全てが変えられるような、「人間の状況や想いを遥かに超えた」崇高な実態を表すために、明確な意図を持って、「越える」の漢字ではなく「超える愛」と表現させてもらってます。

初掲載3月20日

羽生選手の演技、「SEIMEI」も、「レクイエム」も、「Hope&Legacy」も そうでしたけど、

特に『 生命(生命倫理)について考えて、演技に生かしてきた 』と語っていた羽生選手は、

生きること、「生命」ーーというテーマに関連した演技に、ここ数年こだわり続けて演技してきていました。

平昌五輪の金メダリストとなりましたが、公式練習の時から、金メダル確定後まで、羽生選手の口から一番出てきた言葉は、「幸せ」でした。

そこで、

生命の危機に際して、真の神に出会って人生を劇的に変えられ、本当の「幸せ」を見いだしたと語る人たちの証言特集をしてみたいと思います。

このページに載っているのは、以下の順番の、5種類の証言動画です。

  1:銃撃戦で死にかけた時にイエス=キリストに出会い、奇跡の生還を遂げた巡査の証言

  2:狂気の祭りとドラッグ中毒から解放された若者たちの証言

  3:アメリカに潜入したイスラム・ジハード戦士、自殺の直前にイエスに劇的に救われ、人生が180度変えられた証言

  4: スピリチュアル・ニューエイジの世界から、本当の神に出会って変えられた証言

  5: イスラム武装組織のリーダーが、「罪を赦す」神に出会い、人生を劇的に変えられた証言

1:< 銃撃戦で死にかけた時にイエス=キリストに出会い、奇跡の生還を遂げた巡査の証言 >

まず最初に、犯人との銃撃戦の最中、死にそうになり、その時にイエス=キリストに出会った巡査の証言の映像に、日本語訳をつけて下さってある動画です。

この方は、銃撃戦から、奇跡の生還を遂げましたけど、片腕を失いました。

けれども、「失ったものよりも得たものの方が大きい」と言い、それだけの価値があったと、「心臓の鼓動や吐く息の一つ一つが神からの贈り物だ」と心から感謝して語る姿が印象的です。

犯人を「赦す」(ゆるす)決断ーーー 神様の力が働けば、自分の力だけでは到底不可能と思われる、このようなことも、可能となっていくのです。

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。

しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 

あなたがたの天の父(=天地創造主の神)の子となるためである。」 

(イエス=キリストの言葉   マタイによる福音書5章43〜45節  新約聖書 新共同訳より )

2: < 狂気の祭りと ドラッグ中毒から解放された若者たちの証言 >

次は、オーストラリアの最大のドラッグ・フェスティバルとも呼ばれるサイケデリック・フェスティバルで起きている出来事のご報告です。

この祭りでは、毎年多数の薬物過多・中毒者が出て、さらに死者まで出るそうですが、

その現場に乗り込み、ドラッグ中毒になった人々を救う働きをしている人々の報告レポートを紹介した動画です。

まず最初の動画では、後半に、実在の悪霊追い出しの祈り(一部分だけが撮影)により、ドラッグ中毒から解放された青年の変化の様子が映されています。(日本語訳をつけて下さってあるものを選びました)

動画の中で説明されていますが、この方々は、クリスチャンになる前は、ご本人もこのお祭りで、LSDによるドラッグ中毒になっていたそうです。 

しかし今では、助ける側に回っています。

上の動画の続きが、こちらです。

真の神の力により、解放され、平安を得、あるいは癒され、感極まり、心から「幸せだ」と涙ながらに語る人たち。 

その闇の世界のあまりの暗さ・苦しさゆえに、本物の神に出会い、闇の力から解放され、癒された時には、より明確に本人にはその力の凄さがわかるのです。

3: < アメリカに潜入したイスラム・ジハード戦士、自殺の直前にイエスに劇的に救われ、人生が180度変えられた証言 >

レバノン出身のイスラムのジハード戦士として、ユダヤ人とクリスチャンを敵と教育されて育てられ、アラーを真の神(天地創造主)と信じ、アメリカを変えるべく、戦略的にアメリカに送り込まれたイスラム教徒の男性が、様々な出来事の後に自殺を試みます。

その時に、本物の神の臨在が起こり、明確な呼びかけを受け、誰が本物の神かついにわかり、劇的に人生を変えられた証言です。

この動画 5分34秒のところに出てくる、この男性が聞いた声、「アブラハムとイサクとヤコブの神を呼びなさい」という言葉ーーーこの「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」という言い方は、

ユダヤ教キリスト教の共通の土台であり、イスラム教の土台の一部でもある「旧約聖書」の中で、最も有名な モーセ(神から十戒を授けられた人)が、天地創造主たる神から呼びかけを受けた時に、神ご自身が、ご自分を表現された、非常に有名な言葉です。

(参考聖書箇所) 神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて、顔を覆った。 (旧約聖書 出エジプト記 3章6節  新共同訳より)

また、この動画の6分27秒で神が語ったという、「わたしは゛ある、わたしは゛あるという者だ」の言葉は、これもまた旧約聖書で、神がご自分を名乗られた有名な言葉です。

(参考聖書箇所) 神はモーセに、「わたしは゛ある。わたしは゛あるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」 (旧約聖書 出エジプト記 3章14節 新共同訳より)

また、動画6分36秒で出てくる二つの言葉は、これもそれぞれ聖書に出てくる神の言葉です。しかし、この内容はイスラム教では教えられていないため、彼にとっては知らない、初めて聞いた言葉となりました。

(参考聖書箇所)「わたしはアルファでありオメガである。初めであり、終わりである。 渇いている者には、命の水の泉から値なしに飲ませよう。 勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。」 (ヨハネの黙示録 21章6、7節 新約聖書 新共同訳より)

「わたしはアルファでありオメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。」 (ヨハネの黙示録 22章13節  新約聖書 新共同訳より )

「世界が創られる前からあなたのことを知っており、あなたの母の胎につくる前にあなたを愛した」(エレミヤ書1章、イザヤ書旧約聖書より)、エフェソへの信徒への手紙1章4節 (新約聖書より))

さらに、動画7分3秒で出てくる、「あなたに命を与えるためにわたしが死んだのだから」という言葉は、罪の赦しを得させ、永遠の命を与えるために、イエス=キリストが十字架で人々の身代わりとなって死に、復活したことを指します。クリスチャンなら、直ちにこの言葉の主が、イエスだと判ると思います。

このイスラムの男性が、最初に「アブラハムの神よ」と、アブラハムの名でしか神を呼ばなかったのは、イスラム教徒にとってアブラハムは重要な先祖ですが、「イサク」と「ヤコブ」は自分たちには関係ない、と信じていたからだろうと思われます。

しかし、いざ自殺をしようとした時に、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と名乗る神に呼びかけられ、(=ユダヤ教キリスト教天地創造主の神と認めている存在)、その方と出会い、その存在が実はイエスであったことを、彼はこの動画の中で証言しています。

誰が本物の神なのか知りたいと、心から本気で訴え祈る人には、真の神様は必ず、様々な形で、本人に明確に分かるように答えて下さいます。

「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。」  

エレミヤ書33章3節  旧約聖書 新共同訳より)

また、真の神は、どんな国の人でも、人を分け隔てなさいませんし、差別もしません。

「どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」

使徒言行録 10章35節  新約聖書 新共同訳より)

そして、正しいことを行う人だけでなく、罪を抱えた人たちをも、神様はその罪を赦し、受け入れ、救うのです。

聖書は、全ての人には罪があると語っています。 

(ここでいう「罪」=的外れになる性質を指します。もちろん、犯罪としての罪をも赦す権威を 神様はお持ちです。)

4: < スピリチュアル・ニューエイジの世界から、本当の神に出会って変えられた証言 >

次に、スピリチュアルやニューエイジの世界でかなりの有名人だった、ドリーン・バーチューさんという方が、2017年の1月にイエス=キリストに出会い、それまでの認識を改め、その後の人生が劇的に変えられたことの証をされている動画です。

彼女は、それまで自分が関わっていた、「聖書が禁止している内容」から離れる決意をキッパリとしました。

エス=キリストに出会うと、何が真実であるか、誰が本物の神かがわかり、明らかな変化が訪れます。

その力も、スケールも何もかもが、それまでに体験したことのあるものとは、全く違うからです。

ここで出てくるような、あらゆる ○○カードの類は全て、占いの一つであり、背後に悪霊が関わってきますので、その関わりを完全に断つことをおススメします。

人が、本物の神に出会い、信じると、その内側から、神様の力によって、徐々に変えられていきます。

※ 4月1日に追加:  上の動画の続きというか、より詳細が語られた動画です。(2018年配信)

ドリーン・バーチューさんご本人が、世界中の自分の信者だったような人たちに、自分に何が起き、どういう経緯だったのかなどをより詳細に真剣に説明された長い動画です。聖書との違いについてなど、スピリチュアルやニューエイジにはまっていた方々、はまっている方々には、比較的わかりやすいと思います。

動画33分16秒のところに出てくる、「私はイエスの花嫁ですから」という表現は、昨シーズンの羽生選手の「レッツゴー・クレイジー!」の歌詞の説明ページで散々説明しましたが、聖書では、「人間(または教会)と神様との理想的な関係は 新婚の花嫁と花婿のようにラブラブな関係である」とされていて、イエスを花婿に、人間の側を花嫁の立場に例えて表現されています。

それゆえ、 「神様(イエス様)の花嫁です」とか、「神様と結婚しました」という表現は、

誰かが天国に行った場合などにも使われるのですが、

地上にいる人間(自分)の話の場合は、自分が神様(=イエス)と理想的な関係にあること、それを表現する言葉であり、神様としっかりとつながっていて、良い関係を築けていることを指して使う言葉です。 (※ 実際に結婚式を挙げたとか、そういう意味ではありません。)

天使は実在ですが、本物の天使(=神に仕える霊たち)は、決して自分を拝ませたりはしません。ただ本物の神のみを礼拝させるようにし、自分が拝まれることを拒否します。 天使は、神の命令によって動き、人間を守ったり悪魔や悪霊と闘う存在で、神から人間へのメッセンジャー役も果たしますが、神そのものではありません。

天使を拝もうとすると、そこに喜んで寄ってくるのは、自分を人間に拝ませたい、光の天使のフリをした「悪魔や悪霊」となるので、拝むとその支配下に入るため、聖書はこれを禁じています。

参考聖書箇所: ヨハネの黙示録19章10節より

わたし(=ヨハネ)は天使を拝もうとしてその足元にひれ伏した。すると、天使はわたしにこう言った。

「やめよ。わたしはあなたやイエスの証を守っているあなたの兄弟たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。」

5 :   イスラム武装組織のリーダーが、アラーとは違う「罪を赦す」権威をもつ神に出会い、人生を劇的に変えられた証言 >

イランで生まれ、イスラムシーア派武装組織「ヒズボラ」で訓練され、リーダーだった男性が、それまでは聞いたことさえなかった「罪を赦す」力をもった神が自ら現れて下さったことにより、想像さえしていなかった人生へと変えられた劇的な体験を証言した動画です。

ちょっと長く、画像も悪いので文字がやや読みにくいのですが、かなり凄い、重要なことを沢山証言しています。

この動画、3分45秒頃で語られている、「意味がなく繰り返し述べられている言葉、コーランの秘儀」と言われている言葉とは、いわゆる、聖書で禁じられている「呪文」に該当します。悪霊を呼び出す言葉となるのです。この男性は、この後に殺されそうになっています。

この動画、11分45秒のところで、「罪を赦す」力をもった神が現れ、ご自分を名乗られるときに語った「わたしは道であり、真理であり、命である」という言葉は、イスラム教徒のこの男性は全く知らなかったそうですが、

クリスチャン(キリスト教徒、キリスト者)なら誰もが知っている、「新約聖書」の中でも最も有名な言葉の一つで、イエスご自身が、ご自分を説明するのに語られた言葉なのです。

エスは言われた。

「わたしは道であり、真理であり、命である。 

わたしを通らなければ、だれも父(=天地創造主の神)のもとに行くことが出来ない。 

あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父(=天地創造主の神)をも知ることになる。」

ヨハネによる福音書 14章6、7節  新約聖書 新共同訳より)

このイスラム教徒の方も、キリスト教ユダヤ教と同じであるはずの、全能の天地創造主たる神を信じていたつもりで、自分の人生を、神を喜ばすために捧げて生きてきたつもりでしたが、むしろ逆だったと気がつかせて下さった「罪を赦す」力のある神との出会いは、彼をそれまでとは全く違った人生へと変えました。

「自分の名前」を呼んで下さる、「罪を赦す力のある」、「自ら下って来られる」神は、それを本気で求める人、誰にでも、必ず出会って下さいます。

特にこういった霊的なものを見たり体験するわけではなく、

エス=キリストを信じる方、信じていらっしゃる方も世界中には非常に大勢いらっしゃいますし、そういう方のほうがむしろ多いかもしれません。

しかし、特に霊感が強くて、それまでに別の霊の世界に惑わされていたような方々や、自分で望まずとも何かに深く関わらざるを得なかった方、

普通では抜け出せないような中毒状態や、何かの奴隷状態などから抜け出せず、特別に苦しんでいた方々には、

このような形でイエス=キリストとの出会いが起こり、人生が劇的に変えられる方々も多く、

世界にはこのような証言は数え切れないほどあり、今日でも、日々増え続けています。

自分がいったい誰に生かされ、なぜ生きていて、自分が何者なのかがわかるということ、

自分の使命がわかる ということは、幸せなことですね。

キリスト教を、ただの「宗教」の一つだと思い、

こうして命がけで活動する方々や命がけで証言する方々が、自分たちの勢力拡大のための「布教活動」だ、組織の利益のための活動だなどと勝手に思い込んでいらっしゃる方々には、

少しでも、その実態の片鱗、今も日々生きて働かれる神の力、真理のもつ光の輝きが伝われば、幸いです。

「心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる。

柔和な人々は、幸いである、 その人たちは地を受け継ぐ。

義に飢え渇く人々は、幸いである、 その人たちは満たされる。

憐み深い人々は、幸いである、 その人たちは憐みを受ける。

心の清い人々は、幸いである、 その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は、幸いである、 その人たちは神の子と呼ばれる。

義のために迫害される人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。

わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口をあびせられるとき、

あなたがたは幸いである。 

喜びなさい。 大いに喜びなさい。 

天には大きな報いがある。」

(イエス=キリストの言葉  : マタイによる福音書 5章3〜12節  新約聖書 新共同訳より )

「あなたがたは世の光である。

山の上にある町は、隠れることができない。

また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。 燭台の上に置く。

そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。

そのように、あなたがたの光を 人々の前に輝かしなさい。

人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父(=天地創造主の神)をあがめるようになるためである。」

(イエス=キリストの言葉  マタイによる福音書5章14〜16節  新約聖書 新共同訳より )

エスは言われた。

「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』

これが最も重要な第一の掟(おきて)である。

第二も、これと同じように重要である。

『隣人を自分のように愛しなさい。』 」

( マタイによる福音書 22章37〜39節  新約聖書 新共同訳より )

「わたし(=イエス)の掟を受け入れ、それを守る人は、わたしの父(=天地創造主の神)に愛される。わたしもその人を愛して、その人に私自身を現す。(中略)

わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。

わたしの父(=天地創造主の神)はその人を愛され、父(=天地創造主の神)とわたしとは その人のところに行き、一緒に住む。 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。

あなたがたが聞いている言葉はわたし(=イエス)のものではなく、わたしをお遣わしになった父(=天地創造主の神)のものである。」

(イエス=キリストの言葉   ヨハネによる福音書 14章21、23、24節   新約聖書 新共同訳より)

「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。

体は殺しても、魂を殺すことのできない者ども(=悪魔と手下の悪霊たち)を恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方(=天地創造主である真の神)を恐れなさい。

二羽の雀(すずめ)が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父(=天地創造主の神)のお許しがなければ、地に落ちることはない。

あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。

だから、恐れるな。

あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。

だから、だれでも人々の前で自分をわたし(=イエス)の仲間であると言い表す者は、わたしも天の父(=天地創造主の神)の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。

しかし、人々の前でわたし(=イエス)を知らないという者は、わたしも天の父(=天地創造主の神)の前で、その人を知らないと言う。」

(マタイによる福音書 10章26〜33節  新約聖書 新共同訳より)

最後に、世界的に有名な祈りの言葉である、「平和の祈り」を載せておきます。

共感できる、お気持ちが合致する、と感じられる方は、良かったら、今その場で、祈ってみて下さい。

祈りは、どこにいても、誰であっても、聞かれます。

本物の神様は、あなたがどこにいても、どのような状況であっても、たとえ病院で死の淵にいたとしても、声さえも出せなかったとしても、どこからでもあなたの祈りを聴き、受け取ることが出来るのです。

平和を求める祈り

神よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。

わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。